今後の福知山を支えるのは、なんといっても人口の増加、特に若年層の増加です。
高度経済成長に乗って地元の若い人達の多くが都会に進出し、故郷の福知山を忘れてしまったかの如くです。このままでは、福知山全体が限界集落となりかねません。
生まれ育ったところが如何に良いところか、最近UターンまたはIターンした方のコメントを記載します。
コメントに同感された方は是非故郷に帰って限界集落化の阻止または脱却にご協力ください。
古民家同好会理事長 由良 智
福知山で生まれ、高校卒業まで福知山で育ちました。親が「自分の好きなことをやって、福知山はたまに親兄弟が集まる所にすれば良い」と言っていたので、帰郷する気は毛頭ありませんでした。
母親の介護が必要となったのをきっかけに帰郷するハメになり、跡継ぎを頼んでいた弟が急逝し、やむなく福知山に住み着くこととなりました。
今は、なんとか故郷に恩返しをしなければという意気込みでこの同好会を立ち上げ、他方、北近畿唯一の四年制大学である京都創成大学を盛り上げようと「炉端懇談会」に参加しています。
意に反して福知山に住むことになったのですが、帰郷してからの3年間はあっという間に過ぎ去り、極めて充実した日々を送っています。ストレスも無く快食、快眠、快便ですこぶる健康的です。これで経済的な裏づけがあれば、これ以上望むものはないでしょう。
今、切に思うことは、こんな良い生活を出来るだけ多くの人に経験してもらい移り住んで欲しいということと、私の親のように格好良いことは言わなくても良いので、「子供は子供で好きにやれば良い」なんて言ってないで、「お前必ず故郷を守れよ」という親が増えて欲しいということです。
そんな一言が、子供の気持を変えると思います。いずれにしても、第一次産業を切り捨てるようなことは、将来に禍根を残すことになるであろうと思う今日この頃です。
古民家同好会 理事 大槻 正喜
私事ですが、昭和43年4月に運輸省(現国交省)に就職して以来、数回の転勤を経て平成9年4月から国交省(前運輸省)での転勤で舞鶴勤務(二度目)となったのを機に、家族6人(妻と一女三男)共々、私の実家(福知山市字榎原(奥榎原))にUターンをしてきました。
以降、平成16年3月までは単身赴任をしながら退職を迎え、同年4月からは大阪の民間会社に勤務している所です。
生まれ故郷に帰ってきた当時は父母ともまだ元気で、田畑で米とか野菜等を教えて貰いながら一緒に作って来ていましたが、序々に高齢になるに従い両親とは一緒には出来なくなってきて、私ども夫婦だけで農作業(週末のみ)を行っているところです。
そうした中、米作りにおいて私なりに、従来の農法(慣行農法と言われており、化学肥料と農薬散布にたよって収量確保のみ追求)に対して、自然環境、食の安全に関して危惧を抱いていたところです。
同好会の塩見さんは、既にアイガモ農法やら、布団農法など先駆的に種々取組みを成されて実績も上げられており敬服するばかりで、私も見習って行きたいものです。
私もある人から、冬水たんぼを実践(無肥料・無農薬)し10年近くの実績を上げられている話しを聞き、いたく共感をしており私も実践出来ないか現在模索しながら勉強中であります。
もう兎に角、やってみたい事が一杯で、その他に、養鶏(鶏卵)、菜種の栽培(植物油)、ゴマの栽培(ゴマ、油)、廃天ぷら油の再利用(農耕車等の燃料)等々直ぐに仲々取り組めないながら何とか一つずつでも取り組んでみたいと思い描いている今日この頃です。